produced by 中田敦彦

BRAINWASH - FAUST
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■ 第一話

人間が簡単に壊れてゆく様は、非常に不愉快極まりない。喚きちらし、泣き叫び、そう、上品さのかけらもないのだ。しかし、そんな滑稽な彼を見て私は不思議な幸福感を得た。

 

「おーい、相田。」

俺が世の中をけなしている時に限って、このバカ社長は俺の名前を呼ぶ。

「はい。」

俺たち社員の作業着とは違って、スーツに腕を通し、やたらと光る時計を反射させながら笑顔でこちらに歩いてくる二代目社長。

「実はさ、土日の当番がいなくなっちゃってさ、出てくれないかなーて。」

「いや、でも土日は…」

「分かってる分かってる!休みがなくなるんだろ?でも、俺らも一生懸命休みなしで頑張ってるのよ。ほら支え合い?必要でしょ?」

「はい…。」

「いやー!助かるわ!本当に世の中いい人で溢れてんなぁ!」

そう言って楽しそうに去っていく背中。そんな背中を眺めていたら、隣からくちゃくちゃと汚い咀嚼音がした。

「何が休みなしで頑張ってるだよ。毎週ゴルフばっか行きやがって。」

同僚の笹田が俺の昼食をバクバクと食べている。

「これ俺の。」

「しかもさ、そのあとはキャバクラコースだろ?はぁ、二代目社長はお偉いことですね~。」

笹田から取り返したおにぎりを食べながら、仕事中の同僚たちを見る。汗を流して、頬を汚して、子供の頃に遊んだ後のような風貌で金を稼いでいる。服を汚して怒られた子供時代と、汚したくなくなった今の自分。不本意な汚れは大人の証だろうか。

「おい笹田、それも俺のだ。」

「いいじゃーん!それよりさ、見てこれ!」

自慢気にかざされた笹田のスマホには女の子とのツーショット。

「彼女?」

「そう!ついにリア充、なっちゃいました!」

ふふんっと嬉しそうに鼻を鳴らす彼のお気楽さに思わず笑ってしまった。

「何?相田ちゃんも喜んでくれてんの?え?」

「そうそう。おめでと。」

喜ぶわけがない。こんな給料の低い男と付き合う女の気が知れない。

日本は資本主義。いくら稼げるかどうかは能力の証だ。金を稼げない俺たちはそれなりの場所でそれなりに生きてくのが正解なんだよ。

「いや~、人生何があるかわかんねーなあ!」

浮足立っている笹田。そう、人生は何があるか分からない。

もし分かっていたのなら…。

 (第二話へ続く)

 
 

■第二話

終業のチャイムが鳴り、帰る準備をしていると窓の外で行く当てもなくウロウロしている男たちを見つけた。「来た。」そう思った。

「ちっ。」

舌打ちに気づいた笹田がわざと絡んでくる。

「どしたの相田ちゃん、不機嫌?」

「そんなんじゃねーよ。」

俺が借金取りの二人に出会ったのは大学生の時。父親が急にいなくなった理由が多額の借金だったことをそこで初めて知った。ガリガリな体にブカブカなスーツを着ているカマキリ。そしてカマキリにへこへこ頭を下げている働きアリ。こんなに何年も二人一緒に俺のことを追っていて嫌気がささないのかと思う。こいつらに職場が見つかるたびに少しずつ仕事場を変えてきて…ここもそろそろ潮時か…。

「お疲れ様でーす。」

職員専用の裏口から平気な顔で出る。手は少し震えていた。

 

最寄り駅について、やっとおさまった手の震えに安心する。

華金で賑わう駅前の繁華街の空気に飲まれて、身体が酒を欲した。月に何度か行く近所のバーは、大箱だからかカウンターで一人で呑んでいても変に絡まれることがない。各々が楽しそうに吞んでいる。しかし今日は違った。

「お隣、いいですか?」

隣の席にナチュラルに座ってきた女。赤いコートに黒いボブの髪型。顔は量産型の整形顔という感じだろうか。

「いいけど、なんで?」

「お互い一人だからです。」

最近はスマホのアプリや相席での出会いが普及してるというが、こんな風に声をかけてくる女なんて大したやつじゃないだろ。派手な外見で相手がいないところを見ると、相当な男好きかコイツ自身に問題があるかのどっちかだ。いや、どっちも問題だが。

「乾杯。」

若干の気味悪さを覚えながら、礼儀として乾杯をする。

「ところで、相田さん、ゲームはお好きですか?」

「え…?」

唐突に何を?と思うより先に、自己紹介もしていないのに俺の名字を知っていることに鳥肌が立った。また手の震えが始まる。

「二十五歳…まだお若いのにもったいない。稼いだお金が全て借金返済…それも金利を返すだけでなくなってしまう。大学時代、見ていた夢も希望も全てなくなってしまったんじゃないですか?」

何も言い返せないのは、何故こいつがそんなことまで知っているのかという謎と、この女の言ったことが図星だったからだ。

「相田さん、ゲームをしてお金と人生を取り戻してみませんか?」

そんなアニメや漫画みたいな提案をされても頷けるわけがない。

「もちろんゲームの参加期間は、衣食住完備で我々が徹底的にあなたをお守りします。あの借金取り達からも。」

その言葉に目の色が変わってしまったのを、女にしっかり見られてしまった。事実、カマキリとアリに出会ってから一日たりとも安心して眠れたことはない。いきなり窓ガラスを割って石が部屋に入ってきたり、郵便ポストを開けたら鳩の死骸が出てきたこともあった。

「もし、あんたの話が本当だったとして、参加するなら条件がある。」

「どうぞ。」

「借金の返済とは別に賞金を出すこと。」

「もちろん、そのつもりですよ。」

女の口角がさも意味ありげに上がった。

「参加期間は?」

「人によって様々です。長い方もいれば、一瞬の方も。」

(第三話へ続く)

 

■第三話

どのくらい車に揺られていたか分からない。アイマスクと外音遮断性のヘッドフォンをつけられて、「車に乗っている」ということが分かるのは身体の揺れやケツに当たるシートの感覚からだ。さっきよりもガタついている地面。どうやらコンクリートの道路ではないらしい。

そうこうしているうちにいきなり外されたヘッドフォン。先ほどの女の声が耳元で囁いた。

「ようこそ。相田晴彦様。」

 

 精神病棟の中にもこういう真っ白な部屋があると聞いたことがあったけど、こんなの逆におかしくなるだろ、と思った。車を下ろされてからおそらくエレベーターに乗せられ、少し歩いて椅子に座って…アイマスクが取れた時にはこの部屋にいた。テーブルと椅子が二つ。他には何もなく、窓すらない。とにかくどこもかしこも真っ白。テーブルのネジまで真っ白だ。

「失礼します。」

さっきまでの赤いコートがスーツに変わった黒ボブ女が入ってきた。

「あの…」

「ゲームの進行係を務めさせていただきます。では、まずルール説明を…」

「簡単なんですよね?俺ゲームとかしたことなくて…」

「えぇ。非常にシンプルなゲームです。では説明をさせていただきます。」

目の前に不気味な絵の書かれた十枚のカードが並べられた。一見するとタロットカードのようだ。

「まず試合人数は二人。それぞれカードをめくるプレイヤーとカードを並べるバンカーにわかれていただきます。この十枚のカードの中には、プレイヤーカードと呼ばれるものが五枚、バンカーカードが五枚入っています。一枚ずつめくっていき、先にプレイヤーカードを五枚出せばプレイヤーの勝ち。バンカーカードが先に五枚出ればバンカーの勝ちとなります。」

「なるほど…単純っちゃ単純な内容だな。」

「プレイヤーはバンカーにどこに何のカードを置いたかなどの質問をすることも可能です。そしてバンカーは嘘をつくこともできます。」

「心理戦ってことか…」

「では、しばらくお待ちください。」

黒髪ボブ女の淡々とした話し方がこの空間の不気味さと異質さを倍増させた。自分が来てよかった場所なのか、自分にはしっくりこない今の場所に居心地の悪さを覚える。こんなことが以前もあったような気がする…いつだっけか、小学生くらいだっただろうか。話す度に自分の周りで魔法陣を描くように行われるアイコンタクト、声をかけても幽霊のように扱われる日々、幼い俺がうずくまっている姿が目の奥に見えて…

「離せよ!触んな!」

男の罵声で現実世界に引き戻された。扉の向こうからドタドタと大きな音が聞こえる。扉に近づいてくる。

「く、すのき…?」

扉が開いた瞬間に、俺の脳内が彼を拒絶した。ズキズキと頭が痛みだす。

「あ?誰だお前?」

センター分けの黒髪、肩の上で踊らせてセットしている割にテカテカしていて汚い。「あ?」という度にハの字になる眉がイラつきを加速させてゆく。

「俺だよ、相田晴彦。」

「晴彦、晴彦…はっ知らねえな!」

そうか。もう十年以上も前のことだもんな。心を殺した相手の名前なんて覚えているわけがない。いつもコイツの周りには笑顔が溢れていて、でもその輪に入ることをコイツは許してくれなかった。俺はコイツのせいでいつも独りだった。

「第一回戦は、相田晴彦 対 楠隼人」

黒髪ボブ女の少し鼻にかかったアナウンサーのような声が部屋に響く。

「それでは、ペナルティの選択を行います。」

「ペナルティ?」

さきほどのルール説明にはなかった新たなルールに困惑する。そんな俺たちをよそに、黒髪ボブ女が紙を配った。

「ゲーム開始前にお二人には、ゲームに負けた際のペナルティを選択していただきます。重い罰を選択するほど勝利した際の賞金金額が上がり、また、お互いが選択したペナルティが一致した場合はペナルティを受けずに済ませることも出来ます。話し合って決めていただいても結構、各々に黙って決めても結構、ではこの中から選んでください。」

紙を裏返してペナルティリストを見る。そこにはこの世のものとは思えないような項目が並んでいた。

(第四話へ続く)

 

■第四話

 

『ペナルティ リスト

1、 指1本失う

2、 腕1本失う

3、 生涯、無報酬労働

4、 犯罪者の身代わり

5、 死』

一瞬理解するのに時間がかかった。スラッシャー映画でしか見たことない内容が五個も並んでいるのだ。当たり前だろう。

「何だよこれ…」

思ったのは俺だけじゃないようで、楠もアホみたいな声を出した。現実味のない血みどろのペナルティシーンが頭によぎる。

「え、選んだのかよ。」

さっきまで震えていたくせに、そんなことなどなかったかのように挑発的な楠。コイツはいつだって俺の先を嘲笑しながら走ってゆく。もう、そんなことはさせない。

「あぁ、お前こそ決まったんだろうな。」

「では、お二人ともお決まりのようなので、ゲームを開始させていただきます。」

 人間の解釈とは愚かなものだ。

決めつけた世界ほど、曖昧で信用性に欠けるものなどないというのに。

 

 楠が次々にカードを並べてゆく。俺はその様子を何を思うわけでもなくじっと見ていた。五枚一列でそれが二列。並び終えてカードをじっと見つめる楠。どこに何のカードを置いたのか確認しているのだろう。

「楠さん、よろしいですか?」

「あぁ。」

「では一回目。相田さん、何か質問しますか?」

「いや、いい。」

びびっていると思われたくなかった。コイツにだけは。

「相田さん、どうぞ。」

カードを一枚ずつ見ていく。こんな状況に置かれた時、人はどこに自分のカードを置くのか…考えたことも何かで読んだこともない。分からない。指の感覚がなくなるほどの緊張感。とりあえず一枚のカードに手を伸ばす。静かすぎる部屋の中、微かな音ですら耳に入って来る。俺の斜め横に立つボブ女の視線がテーブルの下に向かっている。その視線に気を取られている間に、俺の手はカードをめくっていた。

 

「バンカーカード。」

ボブ女の声が部屋に響いた。まずい。楠の一歩リードだ。

「はっ。俺の勝ちに近づいたな。武者震いしたぜ。」

「では、相田さん次の一枚を。」

とめどなく襲ってくる緊張感。これ以上バンカーカードを出してしまえば精神的に不利になってくる。様子を見ながらカードに手を伸ばす。

ボブ女の視線が再びテーブルの下へ。俺もそれにつられて下に目線をやる。俺と楠の足しかない…足が、動いている?

 

「楠くん!貧乏ゆすりやめなさい!他の人に迷惑でしょう!」

楠の足癖を思い出した。小学生の頃、よくそうやって先生に怒られていたよな。そうだ、コイツは無意識で今足を動かしている。

 

「バンカーカード。」

やっぱり。こいつの足はバンカーカードの時に動くのか。自分が有利な状態に立っているからか、得意顔の楠。しかし勝負は始まったばかり。

「…ここからだ。」

締まりそうになる喉の奥から絞るように声を出す。「あ?」と言わんばかりの表情で楠がこちらを見ている。

「勝負はここからだ。」

「こんなもん、もう運だろ。」

そう言って鼻で笑う楠。その眼はさっきからずっと揺れている。

「あぁ、そうかもな。」

俺はもうあの頃の俺とは違う。ここからだ、簡単には負けさせやしない。少しずつ迫る恐怖と戦えばいい。

「では、3回目。どうぞ。」

(第五話へ続く)

 

■第五話

 

「では、3回目、どうぞ。」

淡々とゲームを続けていくボブ女。

それとは逆に楠の足はいまだ動き続けている。

ということはこれはバンカーカード…じゃあこっちか?

「プレイヤーカード。」

見つけたはずの法則が狂ったことに再び恐怖が襲ってくる。

今目の前のカードの中に残っているバンカーカードは3枚のはず。

しかしその枚数とは不相応なくらいに、楠の足は動き続けている。

どういうことだ…この動作に意味はないのか。

考えながら、カードを選ぶ。頭の片隅ですっと貧乏ゆすりの振動を感じながら。

あれ?

俺の手が止まった。

 

真っ白な部屋のなか、ゲームは続いている。

「くそっ!!」

グッと握りしめた拳でテーブルを叩きつける。

めくられたカードは「プレイヤーカード」。

感情的になった楠のことを見て、俺の中で何かが芽生えた。何だこれ…

“快感”

だろうか。そんなにも似たもの。胸の中が気持ちよく満たされている。

勝てば天国、負ければ地獄、でも今の俺にとっちゃ目の前に見える道は天国しかない。あと3枚プレイヤーカードが出れば楠の負け。

「では4回目、どうぞ。」

さっさとこんなゲーム終わらせて、金をもらったら、あとは普通に暮らせる。

3回めくれば夢に見た普通の人間生活が待っているんだ。

「プレイヤーカード。」

「プレイヤーカード。」

ボブ女の声が2度続けて部屋に響いた。

目の前には震えている楠隼人。俺の人生の黒い点の始まり、それがお前だ。

「では、6回目。これでプレイヤーカードが出れば相田さんの勝ちとなります。」

「お、お前ズルしてんじゃねーのかよ!!こんなほいほいプレイヤーカードだけ出すなんておかしいだろうがよ!!!」

「おかしい?」

思わず笑ってしまった。世の中なんておかしいことだらけだよ。

いちいち理解しようとしてたら人生なんてすぐ終わる。

「なぁ、楠。小学5年生の時のこと覚えてるか?」

「は?」

カードを一枚選び、そのカードを指でもて遊びながら話を続ける。

「お前はいっつも俺の後ろでコソコソ悪口言ってたよな。そのうえ無視して、孤立させた。」

「あ?何のことだ。」

「相田晴彦…って覚えてるわけねーか。いじめたやつの名前なんて3日もたてば忘れるよな。」

「いじめ?」

しらばっくれた楠の顔が、俺の中の何かをキレさせた。

「消えろ。」

「プレイヤーカード。バンカーアウト。」

 

(第六話へ続く)

 

■第六話

 

「消えろ。」

そう言って最後の一枚をめくる。

俺の勝利を告げるボブ女の声と、狂ったような楠の声が部屋に響く。

「おい、お前なんで、分かってたんだろ!?お前らグルなんだろ!?」

泣いてるのか笑ってるのか分からない表情で俺に詰め寄ってくる楠。

「ちげーよ。」

「じゃあなんで!?」

「足だよ。」

「足?」

楠の足はスタートから終わりまでせわしなく動いていた。

俺がどっちのカードを引いた時も、止まることなくずっと。

「お前の足は規則的に動いていた。そして法則的だった。バンカーカードを引いた時、“武者震い”って言ったよな?本当にその通り。興奮を抑制したように静かに、でも確実に動いていた。でもプレイヤーカードの時はその抑制はきいていなかった。興奮じゃない、恐怖で震えていたから。」

楠が自分の足の振動に気づいたのか、真っ青になった顔で足を手で押さえた。

「昔っから無意識に貧乏ゆすりして先生に怒られてたよな。はは、先生の言うことはよく聞きましょうなんてさ…今になって思えば本当、その通りだよな。」

放り投げ気味の俺の言葉は、楠の耳にはもうすでに入っていないようだった。

「…嘘だろ。」

いつの間にか俺の後ろに移動したボブ女を凝視している楠の眼。

俺もその目線の先を追う。

ボブ女の手には黒と銀の装飾が施されたダガーナイフが握られていた。

涙目で椅子から転げ落ちる楠に顔色ひとつ変えずにボブ女が近づいていく。

「相田さんの選択したペナルティは“指を一本失う”でした。」

淡々と話すボブ女。俺ですらその姿には気味悪さを覚えた。

「ペナルティの実行を行います。」

「ま、待ってくれ頼む!俺、ギタリストなんだ!指が仕事道具なんだ!頼む!!」

必死で抵抗する楠。ボブ女が右耳のイヤーカフを触る。

「な、頼むよ、何でもするから!」

ボブ女にすがりついて泣き叫ぶ楠の後ろの壁が横にスライドした。突然のことに一瞬時が止まる。

それもつかの間、開いた壁から白いパーカーに白いデニムの男たちが5人ほど部屋に入ってきた。その中の1人にボブ女がナイフを渡す。男たちは床に這いつくばっている楠の脇に手を入れ、有無を言わさず引きずり出した。

「やめてくれ!!俺は何も悪くないんだ!なあ!?相田!!許してくれ!許しっ」

そこまで言ったところで壁が閉まった。

静まり返った部屋内。あれだけの大声が一瞬にして聞こえなくなった…壁の先には何があるのか。

「しばらくお待ちください。」

10分ほど経っただろうか。再びボブ女がイヤーカフを触った。

開いた壁の向こうから、先ほどの男たちに囲まれて意気消沈した楠が入ってくる。

楠の後ろ、最後に入ってきた男のパーカーはくっきりと綺麗な赤色で染まっていた。

椅子に座らされた楠の右の人指し指が明らかに他の指よりも短くなっている。

雑に巻かれた包帯は真っ赤に染まっていた。

痛くはないのか…と楠の表情を見るが、身体的な痛みよりも、指を失ったいう事実に呆然としているように見える。

その時、目についてしまったモノを見て吐き気が襲ってきた。

血のついたままの白パーカーの男が、持ち主のいなくなった指を持っている。

狂っている、本能的にそう感じた俺の手はまた震え始めた。

(第七話へ続く)

 

■第七話

 

覇気をなくした楠の眼。ガラス玉みたいに色がない。

「では。」

そう言ってボブ女と男たちが部屋の外へ出て行った。

静まり返る部屋。なぜか2人にさせられ、妙な空気感に気持ち悪くなる。

「スーッ…」

泣くのを抑えているのか、楠の唇から鋭く息が漏れた。

「…俺、ギタリストなんだ。」

さっき叫んでいた言葉は嘘じゃないらしい。何も返す言葉がない。

「そこは本当なんだよ。だけどさ…まあ独り言だと思って聞いてくれよ。」

俺以外話相手のいない部屋で、虚しく楠の涙声だけが浮遊する。

「やりたいことなんて見つからなくて、高校中退して、そしたら先輩にバンド誘われてさ、ギターっていうストレス発散の場所を見つけた。これでもギターは真面目にやってたんだぜ?楽しかったんだ。初めて。でも俺クズだから賭け事ハマっちゃってさ、借金抱えてどうにもならないとこまでいっちまって。」

泣いているのか、笑っているのか、無感情…いや、感情がどんどん蒸発しているようにも思える。

「…きっかけかな。」

「何のだ?」

思ったより優しく放たれた自分の言葉にイラつく。

「ずっと、ギターだけは売れずにいたんだ。もう夢なんか見れる状況でもないのに、諦めつかなくて。でも、やっとこれでギターを売れるよ。生まれ変われる。」

「生まれ変わる?」

「一度、いや、何度も死のうと思った。でもさ、自分で死ねるってすげえんだよ。俺は怖くてそんなこと出来なかった。人間ってクソほど臆病なんだよ。でも、これでやっと死ねた気がする。」

ふっと笑う楠の顔に血の気が戻った。

なぜだろう。勝ったのは俺のはずなのに、楠のほうが幸せそうに見える。

再び開いた壁から男が入ってきて、今度は優しく楠を誘導する。

部屋に一人で残された俺の前にボブ女が戻ってきた。

「勝利、おめでとうございます。」

「金は…」

ボブ女が小さな封筒から紙を出す。小切手…ではないようだ。

「原田山小学校5年3組、近藤美鈴。」

「は?」

「相田君はいつも一人でいました。話しかけてもそっけなくて、一人でいるのが好きな子だと思ってました。」

「な…。」

「原田山小学校5年3組、工藤悠人。相田のこと、誘ったけどすごい嫌な顔されたからそれから誘うのをやめた。」

「おい!」

「原田山小学校5年3組、須賀祐樹。俺らは相田のこと誘うの反対してたけど、俺らのリーダー的存在だった奴だけはあいつのこと気にかけてた。まあ、それでも相田には無視されたんだけど。」

「何なんだよ!!!」

「リーダーの名前は、楠隼人。」

ボブ女の口から出た名前と、そのほかの言葉達が俺の心臓の奥に絡みついてきた。

「原田山小学校5年3組にいじめは存在していなかった。」

「何が言いたい?」

「存在していたのは、人と話すのが苦手で被害妄想の激しい内気な男子生徒だけ。」

頭の奥で響く小学校の教室の音。たくさんの話声と俺を呼ぶ男子の声。

俺の中に記憶として残っていなかった楠の笑い声。

激流のように記憶の波が俺の前に現れた。

「相田も一緒にサッカーやろうぜ!」

嘘だ。

「相田も誘おうぜ?」

嘘だ嘘だ。

「相田、お前、絵上手いんだな!」

 

「…嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!!!」

「相田さん、改めて、勝利、おめでとうございます。」

規則正しかった白い空間が歪んで見えた。

(第八話へ続く)

 

■第八話

 

「…ん。」

いつもの肌寒さや不愉快な朝日の光がないことに違和感を感じて目が覚めた。

目の前にはコンクリートの天井。

背中に当たるベッドはごつごつとしている。

一瞬…いや10秒程考えて、ここが自分の家でないこと、楠に会ったことが夢じゃなかったことに気づいた。

ウィンッと機械的な音がして、壁が開いた。

お盆にクッキーと牛乳を乗せたボブ女が立っている。

よく見ると、クッキーが白い蝶々の形をしている…気持ちが悪い。

「おはようございます。朝食を持ってまいりました。」

「あ、ありがとう…。あの、俺の賞金っていつ振り込まれるんですかね?」

ボブ女が無表情でこちらを見る。

「えっと、もしかして現金手渡し?それか小切手とか?」

「何をおっしゃっているのですか?」

予想外の返答に時が止まる。

「いや、俺、勝ちましたよね?だから賞金…」

「誰が一戦だけと言いました?」

「は…?」

 

嫌だ。

「そうですね…少なくともあと…」

もう、嫌だ。

「3戦ほど、でしょうか。」

「嫌だ。」

心の声が思わず放たれた。

「それは辞退表明ということでよろしいですか?ということは次の相田さんの対戦者は不戦勝…」

「嘘だ。やる。やらないと一銭ももらえないんだろ?だったらやる。」

ここで指をなくそうが、何をとられようが、どうせ何も持たず外の世界に戻されたらどのみち俺は死ぬ。仕事場には何も言わずにここへ来た。クビになっていても当然だろう。

「そうですか。」

そう言ってボブ女が立ち上がり、ベッドわきの壁に手を伸ばす。

壁に手を触れた時、ボブ女のイヤーカフが光った。

どうやらこのイヤーカフはこの施設内の鍵らしい。

再び機械音が響き、壁に小さな小窓が出てきた。そこから下を覗くボブ女。

思わず俺も飛び起きて窓を覗き込む。

「う、そだろ…。」

 

そこには映画でしか見たことがないような景色が広がっていた。

ホール…いや、ドームと呼べるであろう巨大な空間に、木の枝のように張り巡らされている通路。

そしてその通路の所々に正方形の小部屋みたいなものが20、30ほどくっついている。

一番近くの通路、そこに面している個室から白いフードの男たちが出てきた。

男たちの間から見えるのは担架に乗せられた人間…女性だろうか。腕が一本欠けている。

吐き気にまた襲われ、ベッドに座り込む。

窓から目線をそらさないボブ女。相も変わらず気味が悪い。

スーツのポケットからスマホを取り出す。

「8号室、敗者は鈴木。」

そう読み上げたボブ女。スマホに対戦表でも出ているのか。

イヤーカフを触ると窓がまた閉まり、密閉された空間に戻った。

「8号室の勝者が明日の相田さんの対戦相手になります。」

どんな相手でももうどうでもいい。そう思い牛乳瓶に手を伸ばす。

小さい頃、牛乳瓶のフタで駒を作って遊んでたっけな。

「対戦相手の名前は」

牛乳瓶が派手な音を立てて床に散らばった。

(第九話へ続く)

 

■第九話

 

人間は好きな人より嫌いな人の方が多いらしい。

そう高校生の時に聞いたことがある。

だから好きな人は大切にしなきゃいけないんだよ、そんな教えだった気がする。

そしてそこから8年生きてきて分かったことは、好きな人からの裏切りは決して忘れないということだ。

色を変え、形を変え、想い出をどうにか捻じ曲げて歪ませて、

そうやって人は先に続いてく人生を何とか生きていく。

 

楠との対戦から1日置いて、再び訪れた真っ白な部屋。

汚れもホコリも“白”以外は何もないこの部屋で、俺は今、異常なほど緊張していた。

白いテーブル、白い壁に囲まれていると境目がどんどん分からなくなってくる。

そんな俺の視界に現れたのは、世界で最も愛せた人。

「晴ちゃん…!?」

大きな目を見開くから、目が落ちてしまいそうになっている。

前よりも伸びた髪。染めてないのにも関わらずほんの少し栗色の髪。

そのせいでよくバイト先の店長に黒染めしろって怒られてたよな。

悔しいほどに跳ね上がる心臓と、同時に襲い来る憎悪。

 

彼女の後ろから何食わぬ顔で入って来るボブ女。

今ほどこいつの安定感に腹が立ったことはない。

「では、相田晴彦 対 野崎美紀の対戦を始めます」

俺が対戦相手だと聞いていないのか、さっきからずっと口元に手を当てている美紀。

美紀が何も言わずに俺の元を去ったのは3年前の夏。

当時22歳だった俺の、自慢の25歳の恋人。

借金を抱えているといった俺に「ずっと支えるから。」と手を差し伸べてくれた唯一の人だった。

バイトが終わり、同棲していたアパートに帰ってきた俺の目に映ったのは、テーブルの上に置かれた、提出するだけだった婚約届と安い婚約指輪。

そこから美紀とは会うことはおろか、連絡をとることすら出来なかった。

「晴ちゃん…、あのっ」

「ボブ女、始めろ。」

「では、お互いにペナルティリストからペナルティを選択してください。」

そう言って配られたペナルティリスト。楠の時とは違うペナルティが並んでいる。

一つのペナルティに目が止まる。

「これ…!」

「お互いが選択したペナルティが一致した場合はペナルティを受けずに済ませることも出来ますが、話し合いますか?」

俺の言葉を遮りたいのか、ボブ女が珍しく食い気味に言葉を放った。

明らかに違和感のあるペナルティの項目。何か意図があるとしか思えない。

目の前でリストを見ながらこちらを気にしている美紀。

「美紀」そう喉元まで出かかった言葉を飲み込んでリストに目を戻す。

忘れない。

忘れていない。

俺を信じ込ませてきた、この女のこと。

いきなり会えなくなり、どこにいても思い出してしまう日々の中で

何食わぬ顔して生活するのは思ったよりも難しかった。

そして知った、「信じる者は馬鹿を見る」と。

 

「お二人とも選択は済みましたか?」

「晴ちゃん、話し合って…」

「済んだ。」

ほら、またその目だ。そのいかにも俺が悪いことをしたかのような目。

大嫌いだ、その目も、その目に揺らぎそうになる俺も。

「野崎さん、選択を。」

無言で頷く美紀。

「では第二回戦、スタート。」

 

(第十話へ続く)

 

■第十話

 

「では、第二回戦スタート。」

ボブ女の言葉を皮切りにゲームが始まった。

しかし美紀はカードの山に手を伸ばすことなく、俺たちの間にカードは置かれたままだ。

「早く並べろよ。」

その言葉に反応したのは美紀ではなくボブ女だった。

「相田さん、あなたがバンカーです。」

「は?」

まさかの展開に頭が混乱する。

「な、バンカーとプレイヤーが変わんのかよ。」

「当然でしょう。鬼ごっこだって鬼は次々と変わります。それと同じです。」

均等な感覚で俺と美紀の間に置かれていたカードの山をボブ女が俺に渡す。

楠の時に掴んだプレイヤーのコツ。それが使えない。

しかも俺のことを一番よく知っている美紀の前でだ。

気を遣っているのか、カードを持つ俺の手元を見ようとしない美紀。

どこまでだってこいつは…。

「相田さん。」

「わかったよ!!」

 

10枚のカード。

並べるのにコツなんてあるんだろうか。正直運任せだろ…。

そう思いながらも、すごいスピードでカードの配置を考えていく。

カードをめくっていく美紀の手を想像し、

めくられた後のカードを想像し、

楠との対戦時の記憶を思い出す。

待てよ。

一か八かだが、高確率でバンカーカードを残す方法がある。

本当に一か八かだが。

 

一定の感覚で並べられた10枚のカード。

「よろしいですか?」

「あぁ。」

きちんと両手を膝の上に置き、10枚のカードをじっと見ている美紀。

「野崎さん、よろしいですか?」

「あ、はい。」

そう言って俺のことを見る。

交わる視線。首の後ろが硬直し、小刻みに震える。

 

その震えを悟られないよう、さっと視線をそらした。

「では、一回目、どうぞ。」

口に手を当て考える美紀。

さっきの不安そうな目とは打って変わって、鋭い目つきでカードを睨む。

女ってのは、男よりも強い。

痛みにも、孤独にも、不安にも…フェミニズムを支持するつもりはないが、その言葉が生まれるだけの女性の歴史があるのも確かだ。

鋭い目つきで、優しい手つきで、一枚のカードをゆっくりめくる。

「バンカーカード。」

一か八か。

俺か、お前か。

「では、二回目。」

(第十一話へ続く)

 

■第十一話

 

「バンカーカード。では、二回目。」
先ほどまで俺のことを気にかけていた美紀の目は、もうカードから離れない。
結局のところ人間は自分が一番なんだ。
それを責める気はさらさらない。俺だって俺が一番大事だ。
ただ、こいつだけは命を落としてでも守りたいと思った。
一時でもそう思った俺のことをぶん殴りたい。
美紀の手が、一回目にめくったカードとは違う列に伸びる。
自分がプレイヤーをして思ったこと。
一列しかめくらない、そんな冒険的な選択をする奴はいない。
決まりはないのに、同じ列だけめくるのをルール違反だと思い込んでいた。
そして、一列にすべてのプレイヤーカードを並べるような馬鹿はいないとも思った。
目の前には5枚一列に並んだ二列のカードたち。
俺から見て手前側は一列すべてプレイヤーカード。
そして美紀側はすべてバンカーカードだ。
今、美紀側の一枚がめくられているので、俺が優勢、という状況。

一か八か。
二回目のカードを選ぶ美紀の手が二列の上を浮遊している。
再び美紀の目の前のカードに手が触れた。
引け!
「バンカーカード。」
美紀が俺のほうにゆっくり頭を上げた。
自分で引いて、自分で劣勢に持ち込んでいるくせに、まるで犠牲者にでもなったような目つきで俺を見る。
何なんだ。
傷つけられたのも、傷ついてきたのも、お前じゃない。俺だ。
「では、三回目。」
何のためらいもなく、さっき触れた俺の目の前のカードをめくる美紀。
「プレイヤーカード。」
初めて出たプレイヤーカードに動揺したのか、手が若干震えている。
その震えを隠すように強く右手を握りしめた。
「四回目、どうぞ。」
抑揚を一切変えずに話すボブ女。
この部屋の中で、こいつだけはずっと規則正しい。
こんな風になれたら…人間味のない、ロボットのような、痛みも憎しみも悔しさも何も感じない“生き物”になれたらいいのに。
そんな風にぼーっとボブ女を見ていると、ふっと目が合った。
どこまでも深く黒い無気力な目。
何を考えているのか…
いやむしろ何か考えているのかすら分からないほど、こいつには何もない。
見れば見るほど、気持ちが悪い。
「何か?」
あまりに凝視していたせいか、規則空間を壊す問いがボブ女から放たれた。
「あ、いや、何も。」
「では、四回目、どうぞ。」
もう一度カードに目をやる。対面には俺のことを見ているであろう美紀がいる。
何度も会いたいと願い、何度も会えないと苦しみ、
そんな感情を俺に与え続けた女が、今、この歪んだ世界で俺を見ている。
のどの奥がきゅーっとなる。息が苦しい。
頼む、早くめくれ。
「野崎さん、四回目を。」

(第十二話へ続く)

 

■第十二話

 

「野崎さん。」

ボブ女の呼びかけにハッとする美紀。

めくられているカードは、バンカーカード2枚とプレイヤーカード1枚。

あと3枚バンカーカードが出れば俺の勝ち。

美紀の目はずっとカードにくぎ付けだ。

部屋の中の動きが固まったまま、10分ほど経っただろうか。

「59、58、57…」

いきなりボブ女がカウントダウンをし始めた。

「え?何ですか?」

美紀の質問は無視し、カウントダウンを続けるボブ女。

「46、45、44…」

困惑したまま、美紀は手近にあったカードをめくった。

「バンカーカード。」

「うそ…」

追い詰められた美紀の顔。

いよいよ後がなくなってきた美紀の顔は蒼白状態だ。

「時間制限、あるんですか?」

美紀の問いに、ボブ女が手に持ったストップウォッチを見せる。

表示時間は10分。

「制限時間は10分。9分になったところでカウントダウンが始まります。」

「そんなルール聞いてないです!」

「皆さん、10分も待ってられずに大抵の方が5分前後でめくられるので。」

鋭く尖ったボブ女の言葉が美紀を刺したのが分かった。

「では、5回…」

そして、負けず嫌いな美紀の目が変わったのも。

ボブ女が言い終わる前に新しいカードをめくった。

再びボブ女の声が響く。

「バンカーカード。」

焦燥感は、理性を奪う。

美紀の中に生まれた「もういいや」の気持ち。

何にしてもこの感情は恐ろしいものだ。この25年、嫌というほど味わってきた。

「もういいや」と思ってよかったことなど一度もない。

自分じゃどうにもならないことを、諦める言葉が必要だった。

向こうから手を切られるくらいなら俺から手を切りたい。

そうすれば、残り少ない自尊心を失わずに済む。

「もういいや」は魔法の言葉であり、有毒な言葉だ。

美紀の中での「もういいや」が俺に伝わってきた瞬間に“勝った”と思った。

「バンカーカード。」

ほら。

なあ美紀、俺はお前が大好きだったよ。

俺の元から離れてしまうくらいなら、殺したい、とすら思ったよ。

「敗者、野崎さん。ペナルティの執行を行います。」

(第十三話へ続く)

 

■第十三話

 

投げやりに放り出された真っ黒な物体。
「うっ…。」
その正体が何か分かった瞬間、俺は部屋の隅にうずくまった。
自分の足に目を向けると、まだ消化途中の朝食が液体に変わっていた。
二日酔いでも吐いたことないのに。
「ペナルティの執行を行いました。」
「死って…焼いたのかよ…。」
「様々な方法がありますが、偶然、焼身用の部屋が空いておりましたので。
次回より何か執行方法のご希望があったらおっしゃってください。」
今まで散々ボブ女のことを狂っていると思ったが、
今日ほどコイツをおかしいと思ったことはない。
狂っている…そんな言葉じゃ足りない。
そんな言葉より、ただただ恐怖を覚える。
未だ、美紀なのか確認すら出来ない死体に背を向け
吐き気と戦っている俺に、淡々と話しかけるボブ女。
「野崎さんの選択していたペナルティは、髪を切る。」
唐突に放たれたその言葉に思わず顔を上げた。
目に入った美紀であろう焼死体に、再び吐き気を催す。
ボブ女に話しかけたいのに、なぜか死体である美紀に気を遣っていることに気づく。
沈黙を破ったのはボブ女だった。
「野崎さんの参加理由は、兄の借金を返すため。」
「は?」
「野崎さんのお兄さんには多額の借金がありました。」
「それ、いつからだ。」
何が書いてあるのか分からない紙をめくるボブ女。
俺の心臓はさっきから大きく鼓動を鳴らしている。
「4年前。」
口から出てきそうなほど、大きく心臓が揺れた。
「4年、前…?でも、そんなこと一度も…。」
「野崎さんの個人データにはこう書かれています。」
「聞いちゃいけない!」と叫ぶ自分と裏腹に、身体は前のめっていた。
ボブ女が、止める間もなくデータを読み上げ始めた。
「4年前の5月23日。
野崎美紀の兄、野崎圭介が多額の借金を抱えたまま行方不明に。
血縁関係を確認出来たのが野崎美紀のみだったため、肩代わりを強制される。

当時付き合っていた男性がいたものの
男性側も借金を抱えており、彼の身を案じて離れることを決意。
そこからは掛け持ちでアルバイトを…」
話し続けるボブ女。
取り返しのつかないことをしてしまったのか。
「う…」
あぁ、美紀。
「うぅ…」
あぁ。
「うわあああああああああああああああああ!!!!!」
抱きしめた美紀の身体。
ぐしゃっと音を立てて崩れていった。

(第十四話へ続く)

 

■第十四話

 

「晴ちゃん、人ってそんなに強くないんだよ。

だから泣いたっていいんだよ。」

「うあぁっ!」

真っ白なパイプベッドの上。

閉鎖的な空間にまた一人。ここへ戻ってきてしまった。

「何だ、まだ生きてんのか。俺。」

生き抜くために参加したゲームのはずなのに

生きていることがどんどん嫌になってきた。

「何だこれ。」

どんなに振り払っても俺にまとわりついてくる

なくなった楠の指先。

真っ黒焦げになった美紀の身体。

ウィンッ。

来た。

「おはようございます。本日の朝食をお持ちしました。」

「いらない。」

 

子供みたいな俺の反抗にまったく反応しないボブ女。

「いらない」という言葉と裏腹に腹が鳴った。

「不要なら結構です。下げます。」

意地の悪いタイミングで反応しやがるボブ女。

下げられる前に、気色悪い形をしたクッキーに手を伸ばす。

「本日は3回戦目。長期戦が見込まれております。」

「長期戦?」

「いえ、失礼しました。」

「…相手は?」

「口外できません。」

美紀の時は対戦相手を言ってきたのに、今回は教えないのか。

というより一回戦の楠の時も教えられていなかった。

「何でだ?」

「基本的に対戦相手をお教えするのは、バンカーの方にのみです。」

「何だそのよく分からない決まりは。

いいから早く教えろよ。」

「お教えすることはできません。“上”の命令ですので。」

「上?」

こんな意味の分からないゲームを取り仕切る“上”の存在。

ボブ女主催のゲームだとは思っていなかったが

 

改めて“上”の存在を明言されると気になってしょうがない。

誰が、

何のために。

それを聞いたところで、きっとこいつの答えは

「お教えすることはできません。」

なんだろうけど。

「あと20分で試合開始です。15分後にお迎えにあがります。」

楠、美紀、俺の人生を狂わせてきた人間との再会が続いた。

次は、誰だ。

震えだした右手が波乱を示していた。

 

(第十五話へ続く)

 

■第十五話

 

何事もなかったかのように進んでいく時間。

色んな人間を傷つけながら、今日も生きている俺に嫌悪感を抱く。

俺が抱えていた傷も過去も、全て誤解だった…

俺という存在自体、全て間違いだったのだろうか。

なんてことすら、ここでは考えている暇もない。

「お待たせしました。」

変わらないテンポ間でやって来るボブ女。

「あぁ。」

人間何でも3度目で適応していくらしい。

どっかで聞いた話だが。

まさに今、それを感じている。

「次の対戦相手の方をお連れしました。」

機械音とともに壁が開く。

「はっ。」

思わず笑みがこぼれた。

こいつらは、本当にドラマティックなキャスティングが好みなんだな。

最高だよ。

「よう、親父。」

 

「よう、息子。」

自分でも驚くほど冷静に興奮していた。

酔っているのか、それとも素面でもこんなしゃべり方だったのか、

今となってはもう思い出せない。

うつろな目の奥の鋭い闇。この闇に何度恐怖を覚えたことか。

何度も、「殺られる」そう感じた。

「では、相田俊哉 対 相田晴彦の対戦を始めます。」

「お互いにペナルティリストからペナルティを選択してください。」

『ペナルティ リスト

1、指1本失う

2、腕1本失う

3、生涯、無報酬労働

4、犯罪者の身代わり

5、死』

美紀の時とは内容の変わったペナルティリスト。

相手が男性だからなのか、楠の時と同じ項目が並んでいる。

「俺は選んだぞ~。おい、早くしろ。」

愉快な声色で話しかけてくるコイツ。

怒りと不愉快さで鳥肌が立つ。

「おいボブ女。」

「はい。」

「もし俺が勝ったら、目の前で執行しろ。」

そう言って丸をつけたペナルティリストをボブ女に渡す。

選択ペナルティを確認したのか、少し弾んだ声でボブ女が返事をした。

「かしこまりました。」

 

「バンカーは相田俊哉さん。

どうぞ、カードを並べてください。」

絶対に負けたりなんかしない。

コイツにだけは、絶対に。

にたっと口角を上げる“コイツ”。

右奥の銀歯がきらっと光った。

真っ黄色な歯が不揃いに俺に向かっている。

「晴彦ぉ、大きくなったなぁ。」

そんな風に笑いながらカードを並べる“コイツ”。

「死ね。」

俺の言葉を聞いてもなお、“コイツ”はずっと笑っていた。

(第十六話へ続く)

 

■第十六話

 

「死ね。」

母親が死んでからというもの、

“死”というものを人に向かって口にするのは初めてだった。

軽々しく“死”なんて言えば、本当に死んでしまいそうで。

でもコイツになら何万回でも言える。死ねばいい。

「~♪」

楽しそうに弾みながらカードを並べていくコイツ。

「嬉しいなあ。」

「は?」

「ほら、昔はよく、一緒に神経衰弱やったろ?

またこうやってお前とゲーム出来るなんて、嬉しくってよぉ。」

何を言っているのか分からない。

思考回路がイカれているとしか思えない。

「覚えてねえか。お前まだちっちゃかったもんなぁ。

こうやってゲームしてると必ず母さんが…」

「うるせえんだよ!!」

ピシャリと2人の間にシャッターを下ろす。

いや、そもそも開けている気はなかったが。

「なんだよ。久々の再会だってのに、寂しいなぁ…。」

しょぼくれた様子を演じながら、手つきは弾んだままカードを並べていく。

「かーんせい!」

コイツが並べたカードは、今まで見た形とは明らかに違う形状になっていた。

「何だよこれ…お前ふざけんのもたいがいに…」

「はっ、これだからお前は成功できねーんだよ。」

「はっ、お前…」

拳を強く握ったまま立ち上がった俺を凄まじい力でボブ女が椅子に戻した。

真顔のまま元の位置へ戻るボブ女。

この部屋の中でのゲーム以外の復讐は禁止ということか。

「おお、ねーちゃん力持ちだねえ。」

ニコニコと愛想を振りまくコイツの気持ち悪さに

俺の中の理性だとか、倫理観だとかが簡単に崩れ去る。

目の前の白いテーブルには縦に3枚、横に3枚並んだ9枚のカード。

1枚だけ、俺から見て右の少し離れた場所に置かれている。

「カードの置き方にルールなんてなかっただろう?

これこそがエンターテイメントよ!分かるか?」

楽しそうに、虫唾が走るほど笑顔で俺を見てくるコイツ。

今すぐにでも殺してやりたい。

…ふっと我に返った。

思いもよらない自分の声が聞こえた気がしたからだ。

今すぐにでも殺してやりたい、そう思った俺に向かって

「でも、なんで?」

と俺が問いかけた…?いや、まさか。

「では、相田さん…晴彦さん。一回目、どうぞ。」

(第十七話へ続く)

 

■第十七話

 

「では、相田さん…晴彦さん。一回目、どうぞ。」

手の平で転がしたい勝負なのに、不規則な並べ方のせいか思考が停止している。

「相変わらず、お前は本当に考えるのが好きだなあ。」

ほんの少しも黙っていられないのか、コイツは。

「俺だったらちゃちゃーっと選んでパパっと勝負つけるのに。」

このおしゃべりを止めたい…いや、もはや息の根を止めてしまいたい。

二度とコイツの声を聞かずに済むように。

「晴彦、思い出せ。小さい頃を。」

「あぁ!うるせえ!ボブ女!黙らせろ!!」

俺の言葉に何の反応も示さないボブ女。

先に反応したのはコイツだった。

「ねーちゃん、ゲーム中に話しちゃいけないなんてルールあったっけ?」

「ございません。」

「だよなあ。ルールはないってよ、息子。」

息子?そいつは俺のことじゃない。

コイツの言葉にこたえる義理も資格も俺にはない。

俺は、コイツを一度たりとも親父だなんて思ったことはない。

笑って、物を食べて、寝て…コイツの生きている世界には虫唾が走る。

プレイヤーカードを5枚引けばそんな世界とはおさらばだ。

「プレイヤーカード。」

咄嗟に引いた一番近くのカード。

ロジックも何も見つかっていない状態で引く、1枚目のカードが何よりも怖い。

2度のゲームで感じたことだ。

「おぉ。いいふりだしじゃねーか!」

あれ。何だろう。俺、この風景を見たの初めてじゃない。

「では晴彦さん、2回目、どうぞ。」

「あ、あぁ。」

その時もたしか、誰かと向かい合っていて、こんな風にカードが並んでいて

手元にはカステラか何かが置いてあって…

「晴彦カード」なんていう声が聴こえていた気がする。

「どうした息子。もう力尽きたか~?」

今、そんなことはどうでもいい。

俺がやるべきなのは、コイツを戒めることだ。

考えろ。晴彦。

まず、1枚だけ離れた場所に置いてある『はぐれカード』が何かを考えるんだ。

コイツは俺を「考える人間」だと認識している。

何も考えないコイツからして、

自分と逆の人間は慎重であると考えるはずだ。

慎重な人間が、わざわざあんな風に目立っている

『はぐれカード』に手を伸ばすだろうか。

そう考えるとあれはおそらく、プレイヤーカード。

となれば、目の前の9枚のカードのうち3枚が俺の手札だ。

「引けばいいじゃないか。この1枚。」

考えていることを読んだのか、離れた場所の1枚を指さした。

「どうせお前のことだ、これはプレイヤーカードだと思ってるんだろう?

だったらいい。さっさと引けよ。」

心理戦を楽しんでいるのか、さっきよりニヤついている。

「うるせえ、黙ってろ。」

半分ムキになって、1枚のカードに手を伸ばす。

「バンカーカード。」

(第十八話へ続く)

 

■第十八話

 

「なっ!」

プレイヤーカード2枚で優勢になると思っていたのに

めくったカードはバンカーカード。

やられた。

「晴彦ぉ、お前は本当に馬鹿だな。言ってたろ。言葉に騙されるなって。」

一瞬でもムキになった自分を呪った。

激情は時に自分の足かせになる。

分かっていたはずなのに、ふいに飛び出した感情の波が理性を超えていった。

「記憶力のいいはずのお前が、どうして分からない。」

「あ?」

「ほら、俺に似ず、お前はずっと成績がよかっただろう?

記憶力だよ!お前の武器は!それしかねーんだよ。お前には。」

そう言ってゲラゲラ笑うコイツ。

許されることなら、俺が今ここで首を絞めてやりたい。

「晴彦さん、3回目、どうぞ。」

「あ、ねーちゃん、あれくれ。」

“あれ”が何を指すのか気になったものの

これ以上コイツの言葉に反応していると思われたくないので

カードから目を逸らさずに考える。

どうせ酒か何かだろう。それで

「呑んじゃいけないルールなんてないよなぁ?」

なんてことをほざくんだろう。

しかし、ボブ女が差し出した“あれ”が小さいことが視界の端で分かった。

そっと顔をあげる。

俺に背を向けて、何かをしているコイツ。

何だ?

ゆっくりと振り向くコイツから、静かに視線を外し

再びカードに目を向ける。

コイツは“あれ”をボブ女に預けた。

「ほらほら。さっさとしないと時間切れになるぞ~!

お前は昔っからそうやって理論的なんだ。

だから簡単なことが逆に分かんねーんだよ。」

気を取り直したように、大声を出して笑うコイツ。

「相田さん、カードの上には手を乗せないでください。」

ボブ女の初めての忠告に一瞬動揺したが、どうやら俺じゃないようだ。

「あぁ、すまんすまん!」

自分の目の前のカードに手を乗せていたコイツ。

そうか。分かりやすい。

「ふっ、ついに出たな。お前のそういうとこだよ。」

「何の話だ。」

「いつだって自分が一番。

自分を守るためなら家族だって犠牲にする。

母さんが死んだのもお前のせいだろ。」

痛いところをつかれた、とでも言わんばかりに

申し訳なさそうに俺を見る。

その目が嫌いだ。

「そのエゴイズムな性格が、こういう場所では身を滅ぼすんだよ。」

お前が何気なく手で隠していたそのカード。

意識的にでも無意識的にでも、守ろうとしたカード。

お前が守るのはいつだって自分だ。

「俺は、これを引く。」

コイツの顔が固くなった瞬間を見逃さなかった。

手の下に隠されていたカードをゆっくりとめくった。

(第十九話へ続く)

 

■第十九話

 

「バンカーカード。」

抑揚のないトーンの中で、ほんの少し弾んだボブ女の声を

俺は聞き逃さなかった。

完全に楽しんでいるボブ女。そして目の前のコイツ。

「くそっ!!」

思わず口から出た言葉に自分でも驚く。

「バカだなあ。息子~。」

そう言ってニヤつくコイツ。

「俺が隠してたカードだ?笑っちまうよ。

誰がそんなガキくさいことするかよ。」

「晴彦さん、4回目、どうぞ。」

じっとコイツを見据えて、カード一枚一枚の上に手を添わせていく。

揺れろ、その目を揺らせ。

俺から見て一番左の列に手が差し掛かった時…微かに、揺れた。

この辺がプレイヤーカードの巣か?

「これにする。」

俺が選んだのは一番左の列の真ん中に置かれたカード。

妙だ。

表情だけでなく、首のあたりまでもが強張っているように見える。

「それでよろしいですか?」

なかなかめくらない俺にしびれを切らしたのかボブ女が珍しく急かした。

なるほど、運営サイドからしてもこの勝負は結構な注目試合らしい。

「あぁ、めくるよ。」

コイツの目を見ながらじっくりめくる。

揺れろ、揺らせ、ほら、これが俺の…

「バンカーカード。」

(第二十話へ続く)

 

■第二十話

 

「晴彦は、本当に頭がいいなー!」

「僕よりお父さんはバカなの?」

「こら!バカはダメだぞ。でもお父さんはバカだ!」

 

「バカだな、息子。」

揺らしまくった瞳を俺にじっと据える。

プレイヤーカードだと思ってめくったカードがことごとくバンカーカードだった。

バンカーカードが3枚、プレイヤーカードが1枚。残りは6枚。

いよいよ笑ってなんていられなくなってきた。

「なあ息子。お前、勘違いしてないか?」

「んだよ、話しかけんなクソ親父。」

考えろ、晴彦。道は必ずある。

「お前は親の俺が死ねばいいと思ってんだろ?」

「っせえな!そうだよ!!

でも一つだけ間違ってる。ははっ、お前は俺の親なんかじゃねぇ。」

顔を上げた俺の目に映ったのは想像もしたことない姿。

「俺は、一度だってお前をそう思ったことはないなあ。」

笑いながら泣いている?いや、泣くほど笑っているのか?

「俺の目は、俺の口より利口だ。目は口程に物を言うってあるだろ?

俺みたいなバカは口で何かを言うことが出来ねえんだよ。

晴彦、それはお前が一番わかってんじゃねーのか?」

フラッシュバックしたのはコイツの目の揺らぎ。

コイツの目が揺れるときはいつだってバンカーカードだった。

さっき、コイツの目が揺れなかったカードに手を伸ばす。

ここでバンカーカードをめくれば俺は絶体絶命ってわけだ。

「晴彦さん、5回目、どうぞ。」

(第二十一話へ続く)

 

■第二十一話

 

5回目。俺が選んだのは右側の列の真ん中のカード。

全く揺れることなく俺を見据えるコイツ。

「5回目、どうぞ。」

ボブ女の声を皮切りに、ゆっくりとめくる。

「プレイヤーカード。」

何となく、ゆっくりと思い出されてきたコイツとの記憶。

俺はこのゲームをコイツとやったことがある?

「晴彦カードだな!」

嬉しそうに笑う目の前のコイツ。おかしい。違うだろ。

そこは「んだよ、ふざけんな。」って言ってくれないと。

晴彦カード…ふんわりと緩やかに色を付け始める遠い記憶。

母親に、カステラに…違う、神経衰弱じゃない。

記憶の中で俺が嬉しそうにめくっているカードはトランプじゃない。

「俺はこのゲームを知っていた?」

「やっと思い出したか~!お前のほうがボケが早いのかと思ったわ!

昔よくやったよな?相田家ゲーム。」

「晴彦さん、6回目、どうぞ。」

長々と話しだしそうなコイツの言葉を遮るように、ボブ女が割って入った。

「ねーちゃん、おっかないな~。

まあいい。晴彦、ほら思い出せ思い出せ!」

まさかだとは思う。

まさかだけれど、今の俺の脳内の記憶が正しければ

『あの一枚』さえめくらなければ絶対に俺は負けない。

「息子。俺は何も変わってないぞ。」

その言葉が耳に届く前に、俺は2枚のカードに両手を伸ばした。

(第二十二話へ続く)

 

■第二十二話

 

「プレイヤーカード、プレイヤーカード。」

2枚引く、というイレギュラーな行動に対しても、ボブ女は動じなかった。

それどころか目の奥に興奮の色が見える。

「あぁ、ピンチだ。」

なんて言いながら、以前より薄くなった頭頂に組んだ両手を当てるコイツ。

その言葉とは裏腹に、声色は明るさを含んでいた。

 

コイツの右目が見えなくなったのは、俺が小学三年生の頃だった。

小さく、古い一階建ての木造住宅。申しわけなさそうに隣接する庭には蔦やら

ドクダミやらの野草が所狭しと生えていたっけな。

毎朝、母さんがいつも草むしりをしていて、コイツはそれを見ながらかろうじて縁側と呼べるほどの狭いスペースで新聞を読んでいた。

その日は夏休みだったと思う。小学校の宿題であるアサガオの観察日記を書こうと庭に出て、「あいだはるひこ」と書かれた植木鉢に水をやっていた。

昨日までつぼみだった花が開いていることに喜び、コイツを呼んだ。

コイツは嬉しそうに縁側から庭へ降りてきて、俺のはしゃぐ様を見ていた。

その時だった。

俺は自分で置いた足元のじょうろに引っ掛かり、バランスを崩して倒れそうになった。

その瞬間、いきなり何か強い力で突き飛ばされ、気づいた時には縁側の方へ倒れこんでいた。

バッと身体を起こし、振り向くと、コイツは右目を押さえながら

「大丈夫か?けがはないか?」と俺に手を差し伸べてきた。

小さいながらに「あぁ、今右目が大変なことになっている」と感じ、コイツの顔を見るのが怖かった。

その後、台所から母さんの悲鳴にも似た声が聞こえてきて、そのまま二人は病院へ向かった。残された俺の前には、アサガオの支柱があらぬ方向に倒れていた。

 

「相田さん、7回目、お願いします。」

ボブ女の声で、小さい頃の家から無機質な空間に戻された。

「晴彦ぉ、もう一枚当てればお前の勝ちじゃねえか!」

ニヤニヤと笑いながら、挑発的に俺の名を呼ぶコイツ。

何故だろう、もう言い返す気も、自分の中から何かドロッとしたような感情が湧き出ることもなくなっていた。

(第二十三話へ続く)

 

■第二十三話

 

誰かに対する憎しみというのは、時に想い出にすらベールをかけてしまう。

想い出が記憶に、記憶が憎しみに姿を変えた俺には、もう“本当の想い出”は見えない。

 

「お前は、変わんなかったのか?」

初めての俺からの問いかけに、コイツの動きが止まったのが見なくても分かる。

「何がだ?」

さっきまでのふざけた口調とは違い、歯切れのいい語尾で俺に質問を返す。

「お前の右目、まだ、見えないままなのか?」

本当はこんなことが聞きたいのではない。

あれからどこにいて、何をして生きてきて、それでもお前はあの頃と変わらずに俺の父親として、この世で生きているのか、それは変わらないのか、ということを聞きたいのだ。

「あぁ、順調に見えないままだ!ははっ!」

再びだらしのない話し方に戻ったコイツ。

「で、」

話の続きがあることを示唆する声に反応し、俺の目が自然とコイツの顔を見た。

「俺はお前の父親のままだ。」

聞きたかったことをどんぴしゃで言い当てられた。

悔しい、腹立たしい、そして何より、コイツがきっと今この世で一番俺のことを知っているという事実が忌まわしいほどに…

机の上で組んだ両手に何かが落ちる。とめどなく流れ出てくる。

「ははっ。」

乾いた笑いでごまかしても、もう隠しきれないことなんて分かっていた。

俺は、今、泣いている。

「ほら、早く引けよ。」

俺よりも冷静に、そして淡々とコイツが言い放った。

もう、全部分かっていた。どこにバンカーカードがあるのかも、どのカードを引けば勝てるのかも。

「親父…」

ここへ来て初めて呼んだ呼称。なんだか照れ臭い。

「ごめん、ありがとう。」

そう言って、俺はプレイヤーカードに手を伸ばす。

ここまでだ、親父。ごめんな…。

「バンカーカード。」

俺は笑顔のまま、固まった。

(第二十四話へ続く)

 

■第二十四話

 

「バンカーカード。」

ありえないワードが無機質な空間に散った。

笑いをこらえているのか、口元に拳を当てて肩を震わせているコイツ。

これでコイツと俺、五分五分の勝負となった。

めくられていないカードは2枚。俺から見て一番奥の列、両サイドのカードだ。

このゲームは昔俺がコイツとやっていたゲームと同じだ。

プレイヤーカードを『晴彦カード』と呼んでいた。

コイツは見えない右目を庇うように、カードの配置をしていた。

自分のカードを自分の手元に固め、右目が見えないという口実でよく自分のカードの上に手を乗せていた。

小学生だった俺は、何も考えることなく引きやすそうなカードを手に取る。

そうすれば自然と俺が勝つのだ。

変わっていない、そう堂々と言い放ったコイツ。俺の中で何かが切れた。

「嘘つき」そう言いかけた時、コイツの口からその言葉が放たれた。

「嘘つき、なんてガキ臭いこと言うなよ?このゲームには大金が懸かってんだよ。こんなところで、昔の息子に負けるわけにはいかねーだろ。」

さっきよりまっすぐに、怖いほどに俺を睨みつけるコイツ。

昔の息子…。そうか、コイツの中では俺は完全に過去の産物。

邪魔ってことか。

「8回目、最後になります。どうぞ。」

ボブ女の声が俺らの間に割り入ってきた。

コイツはもう、昔のコイツじゃない。俺の親父じゃない。

あのカード…そう、一番奥の列、コイツの右目の外側にあるカード。

それさえ引かなければ勝てると思っていたが、そんなに単純じゃなさそうだ。

どっちだ…クソ。分からない。

ゆっくりと、確実にタイムリミットが迫ってきた。

「晴彦。」

今までにないほどの優しく力強い声でコイツが俺の名を呼んだ。

「今まで、たくさん苦労かけたな。本当に悪かったと思っている。せめてもの償いだ。このカードを引いてくれ。」

そう言って差し出してきたのは、さっき、俺が引こうとした一番外側のカード。

「これはプレイヤーカードだ。これを引けばお前の勝ち。俺は死ぬ。実はここに入る前に多額の保険金をかけてきた。俺が死んだら、その保険金を受け取って欲しい。上手くやれよ?」

優しく穏やかに語り掛けるコイツ。

 

 

「親父…。」

そうか、そんなにまで本当は俺のこと想ってくれてたのか。

「もっと、早く会いたかった…。」

そう言ってコイツの差し出したカードに手を伸ばす。

「早く会って、復讐してやりたかったよ。」

俺の手は、そのカードをはねのけ、一番奥の列の右端のカードをめくった。

(第二十五話へ続く)

 

■第二十五話

 

“昔の親父”の差し出したカードをはねのけ、

俺の手が一番奥の列、右側のカードに触れた。

しかし、なかなかめくれない。指先が震えて上手にカードを掴めない。

初めて知った。

死ぬことってこんなに怖いんだということを。

その瞬間、赤い爪が綺麗にカードをひっかけてめくりあげた。

「一度触れたカードは変更不可ですので…」

ボブ女の声が遠くのほうで聞こえる気がする。

それほどまでに俺の意識はカードに向いていた。

ゆっくりとめくられていくカード。

生きるか…死ぬか…たった一枚で運命が決まる。

「このカードは…」

脈拍が早くなる。手が震える。

「このカードはプレイヤーカード。勝者は相田晴彦さんです。」

勝った…俺は、生きている…。

「勝った…。」

心の声が徐々に漏れ出した。抑えきれないほどの感情の波が口からどんどん溢れてくる。

「勝った…勝ったぞ!おい、残念だったな。母さんにあの世で謝罪しろよ。」

小さく肩を震わすコイツ。下を向いていて表情が見えない。

「おい、どうせ保険金とか全部嘘なんだろ?このプレイヤーカードが微塵も俺のことを思っていないっていう、何よりもの証拠だろ。」

何も言わず下を向き続けるコイツ。

「勝った」という安心と歓喜の波が、徐々に苛立ちに変わっていく。

「おい。こっち見ろよ…おい!」

テーブル越しに、思いっきりコイツの胸倉をつかんだ。

反動でぶつけた右ひじがジンジンと痛み出す。

首の座っていない赤ん坊のように、掴まれるがままのコイツ。

ゲームが終わったあとは、この部屋の中で暴力が起きようがどうでもいいのか、ボブ女は黙ってなりゆきを見ている。

感情のエネルギーがゼロに等しい今のコイツに何を言っても無駄だと思い、黙って手を離す。

ストンッと椅子に落ちるコイツ。肩を震わせている。

「…た。」

あまりに小さく途切れ途切れのコイツの声。泣いているのか?

その瞬間、大声が部屋に鳴り響いた。

「よかったー!!!!!」

ギョッとするほどに満面の笑みで喜んでいるコイツ。

涙も鼻水もありとあらゆる穴から流れ出る液体。

充血した目が俺を見る前にボブ女を捉えた。

「ねーちゃん!!晴彦の勝ちなんだよな!?」

「はい。」

「息子は死なないんだよな!?」

「はい。」

「保険金も晴彦におりるんだよな!?」

「はい。」

よくわからない掛け合いをしているコイツとボブ女。

いや、意味は分かるのだが、なぜコイツがこんなテンションなのかが分からない。

ボブ女が息を吸うのが分かった。

「晴彦さんは死にません。死ぬのは、あなたです。」

(第二十六話へ続く)

 

■第二十六話

 

「死ぬのはあなたです。」

ボブ女の力強くも淡白な声。ゲーム中のニヤつきとは違い、心底嬉しそうに笑うコイツ。

何もかもが理解できず、ただ黙ることしかできない。

俺は騙されたのか…?

「相田さんが選んだペナルティは自身の目の前での“死”。方法はこちらでお決めしてよろしいでしょうか。」

人生で生まれて初めての質問に混乱する。

そもそもコイツが何でこんなに嬉しそうなのかも、まだ分かっていないのに、殺し方なんて考えつくわけがない。

「ねーちゃん、なるべく痛くないやつがいいなぁ。あと一瞬のやつね!」

「承知いたしました。」

ボブ女が右耳のイヤーカフを触り、何やら話している。

「保険金。」

ボブ女をボーっと見ていた俺にコイツが話しかけてきた。

「保険金、うまくやれよ?」

「…本当はねーだろそんなもん。さっきだって俺がお前の差し出したカードを引いてたら俺は死んでた。」

「はっ…」と、鼻で笑うコイツ。

「お前は俺の差し出したモンなんて引かねーよ。」

「は?」

「お前は母さんに似て賢いから。人の言葉の裏を読めるだろ?

でもなぁ、晴彦。俺は馬鹿に生まれてよかったと思うことが1つだけある。」

ぽつりぽつりと頼りなくこぼれるコイツの言葉を、不思議と逃してはいけない気がした。

「バカみたいに信じられるってことだ。人は見た目じゃない?心で感じろ?俺はそんな難しいこと出来ねえ。その代わり、自分に向いた善意や俺のためにしてくれたことは何の疑いもなく受け取ることが出来る。まぁ、それで騙されたこともたっくさんあるんだがな!!」

ガハガハと大口空けて笑うコイツ。

「しんどいだろ?周りを疑って、疑っている自分を疑って。賢いからこそしんどいだろ?いいんだよ、ちょっとくらい信じたって。こんな馬鹿みたいな考え方の奴が48年も生きられる世界なんだから。案外、悪くないだろ?」

母さんが言っていた。コイツの好きなところ。

無邪気な笑顔、イタズラな笑顔…そういえば、笑顔ばっかりだったな。

コイツはどんな時だって、笑顔を無駄に振りまいてた。

「はめたのかよ。俺のこと…。」

カードを差し出した時から、俺がそのカードを選ばないことも、自分が死ぬことも全部分かってたのかよ。

「案外、お前も馬鹿なんだな。何で俺がここに来たか分かるか?」

会話が終わったのか、ボブ女が俺たちのテーブルの脇に戻ってきた。

「お前を守るためだよ。」

その言葉とともに、部屋に銃声が鳴り響いた。

(第二十七話へ続く)

 

■第二十七話

 

花びらのように、目の前で赤い血が舞った。

「あ~、ごめーん!ちょっとズレちゃった!」

背後から聞こえたのは若い女…女の子の声。

親父から目が離せない俺の横に、誰かが立ったのを気配で感じた。

倒れた親父は、打ち上げられた魚のようにピクピクと動いている。

ふっと風が吹いた、と思ったら

俺の目の前で親父に向かって少女がしゃがみ込んで話しかけ始めた。

「おじちゃん、まだ生きてるの?苦しい?」

背を向けられているから表情は見えないが、舐めるような猫なで声が不快でしかない。

「苦しんだね…。ごめんね?リアがちょっとだけ撃つところ間違えちゃったの。」

カチャ、と音がした。

「ばいちゃ。」

その瞬間、親父のコメカミに当てられた銃口から弾が放たれた。

俺が選んだペナルティにも関わらず、目を背けてしまった。

人が死ぬ瞬間なんて…いや、人が殺される瞬間なんて生まれて初めて見た。

こんなにあっけないのか。俺たちの生は。

銃をボブ女に渡し、少女がこちらを見た。

歳の頃は10代後半から20代前半、と言ったところだろうか。

ハイトーンアッシュのヘアカラー、真っ赤な唇、透き通るような瞳はカラーコンタクトというものだろう。骨格は日本人でありながら、彼女を作る要素は全て人口的な西洋感に溢れていた。

ボブ女が素直に彼女に従っているところを見ると、ゲームの関係者か。

じっと自分から目を逸らさない俺に嫌気がさしたのか、

怪訝そうな顔で彼女が目を逸らし、親父の死体に近づいた。

「怒ってる?」

親父の死体から目を離すことなく、俺に質問が飛んできた。

「え…?」

「怒ってるんでしょ?リアがパパさんのことちゃんと殺しきれなかったから。リアだってもっとぐちゃぐちゃになるくらい撃ちまくりたかったよ?だけど、汚いのは見たくなかったんだもん…。」

子供が拗ねたような口調で、とんでもない言葉を連ねる“リア”と自分を呼ぶ女の子。

「お前は、誰だ?」

最初に聞くべきだった疑問をやっと聞けたのは、親父が死に切ったことが分かったからか。

「リア?ん~。リアはぁ…」

そこまで言ってボブ女に目をやった“リア”。

相変わらず動かないボブ女にため息をつくと、親父の返り血にまみれた顔で俺に向かってにこやかに笑った。

「リアは、このゲームの主催者です♡」

(第二十八話へ続く)

 

■第二十八話

 

「リアは、このゲームの主催者です♡」

一瞬のことに身体が固まった。

というより、耳では受け止めたものの頭が理解についてきていない、といった感じだ。

とにもかくにも、今目の前にある父親の死体を一度どこかに動かして欲しい。

「あの」

そう言いかけた瞬間、あの白いフードの男たちがぞろぞろと列を成して部屋に入ってきた。

親父の死体を担架に乗せ、その上からサラッとしたシルクのような黒い布をかけた。

リアと名乗る少女がタオルを受け取り、無感情で自分についた血をふき取っていく。

5分ほど経っただろうか。

先ほどまで血に染まっていたこの部屋は、何もなかったかのように平然な顔をして俺たちを囲んでいた。

唯一、この少女の服についた血の跡だけが生々しく出来事を思い出させた。

「すごいね!」

先に口を開いたのは少女の方だ。

「よくここまで来たね。すごかったよ~!」

まるで今までのすべてを見ていたかのような口ぶり。

ボブ女はこの少女が来てからというもの、何に対しても無反応だ。

「ずっと、見てたのか?」

楠の時も、美紀の時も…こいつはこんな風にへらへらしながら

俺らの生死を賭けた戦いを見てたって言うのか?

「見てたよ~!当たり前じゃん。」

何の悪びれもなく髪を人差し指に巻き付けながら笑うリア。

「なんなら、あのいじめっ子も婚約者ちゃんもパパさんも、キャスティングしたのリアだし。」

訳が分からなくなってきた。

“誰が何のためにこんなゲームをしているのか”という疑問に関しては遠い昔に置いてきた。考えたところで変わらないからだ。

ただ、いざこの話を聞くと、“何故俺にこんなゲームをさせるのか”という疑問の方が俺の思考を占め始めた。

このどう考えたってまだガキなこの少女が、何でこんな場所でこんな奴らを支配できているのか。

全く持って訳が分からない。

「晴氏??」

悶々とした思考の中から、呼ばれたこともない呼称で引き揚げられた。

「何だよ。」

「パパ、死んで悲しい?」

「あ?悲しくなんか…」

そう言いかけて気づいた胸の痛み。チクチクとずっと痛かった痛みにようやく気づいた。

「ふふ。」

リアが顔を下に向けて笑っている。何がおかしい。

「何がおかしい。」

思考と言葉がリンクして、自分じゃもう止められない。

その瞬間、

「あはははははははははは!あーはははははは!」

不気味なまでの甲高い笑い声が部屋に響いた。

(第二十九話へ続く)

 

■第二十九話

 

甲高い声で笑い続けるリア。

さっきまでの媚を売るような声とは全く違う。まるで、魔女だ。

「あー、お腹痛い。」

笑い終えたのか、嘘みたいな低い声を出し俺を睨みつける。

「安心したよ、クソみたいな人間ばっかりで。」

別人のようにニヤつくリア。

ただならぬ気味悪さが漂っている。

「何のために…」

「何のためか?知りたい?」

真っ赤な唇を前歯で噛んで笑いをこらえながら、楽しそうに俺を見る。

「こんなこと…普通じじゃないだろ。」

「普通だろ。」

0コンマ何秒で返されたか分からないほど早く俺の言葉は切り捨てられた。

このゲームを“普通”と言い切るこいつ。

この少女が普通じゃないことは明確だ。

「みんな恨んだり、憎んだりしながら生きてる。恨まれるようなことをした奴、憎まれるようなことをした奴、そいつらをしばくことの何が普通じゃねーんだよ。ましてや、一方的にしばこうってわけじゃなく、対等な立場で成敗してんだから何も変なことはないでしょお?」

一言のうちに、まるで性別が変わったかのように声のトーンと話し方が変わった。

何なんだこの女。

「教えてあげるよ。何のためか、何のためのゲームか。」

ボブ女に視線をやるリア。素直に頷き部屋から出ていった。

この部屋でボブ女以外の人間と2人きりになるのなんて初めてだ。

「ボブ女はどこ…」

「ボブ女?エレナのこと?いいあだ名つけるじゃーん!」

「あぁ、そんな名前だった…」

その言葉を言い終わる前に、スマートフォンを持って部屋に戻ってきたボブ女。

俺の目の前にそっと置いた。

何やら企画書のようなものが映し出された液晶画面に顔を近づける。

その内容を読み終えた瞬間、俺はリアの胸倉をつかんでいた。

「てめぇ…。」

止めないボブ女と、胸倉つかまれても笑っているリア。

イカれてる。

これがこの小さな部屋の中の“普通”なら、この狭い世界は完全にイカれてやがる。

(第三十話へ続く)

 

■第三十話

 

「離して。」

俺の腕の筋が徐々に浮き彫りになってくる。

力を入れ続ければ、おそらく俺はこの女のことを殺すだろう。

「離して。」

大の男に胸倉を掴まれてもビクともしないで、こちらを真っすぐに見ている。

息を吸った。三度目の「離して」が来る…

「離せ!!」

すごい剣幕で俺に向かって声を上げた。

その勢いに押されて思わず手を離す。

全くつかめない。

子供のようで大人、少女のようで男のよう…ただ一つ言えることは“不快”であるということだけだ。

 

「はぁ~。」

俺の手から解放されて、服を整えるリア。

首をボキボキと鳴らしながら俺を睨みつけた。

「ったく、女の子に手をあげるなんて、最低な奴。晴氏、モテないっしょ?」

「さっきから…

晴氏ってなんだよ。」

「晴彦氏を略して晴氏!あだ名の方が仲良くなれそうでしょ?」

仲良くなる気なんて更々ねーよ。と、どんどんリアに苛立ちが募ってくる。

目の前に置き去りになったスマートフォンを手に取り、もう一度液晶画面に目をやる。

可愛らしい女の子…少女漫画のようなタッチのキャラクターが吹き出しから言葉を放っている。

『恨みや憎み、ハッピーにブレインウォッシュしちゃお!』

その下には

『連載漫画企画案』

の文字。

あらすじや登場人物、全てが今まで俺に起こったこととリンクしていた。

「面白そうでしょ?その漫画。」

「ふざけんな…人の命を何だと…」

「一つ、付け加えるの忘れてた。」

俺からスマートフォンを奪い取り、舐めるようにその画面を見るリア。

「この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。」

その言葉の終わりと同時にリアの手からスマートフォンが床に投げつけられた。

スマートフォンの上に立ち、楽しそうに笑い始めた時

久しぶりにボブ女の声が部屋にこだました。

「リア 対 相田晴彦の対戦を開始します。」

(第三十一話へ続く)

 

■第三十一話

 

「リア 対 相田晴彦の対戦を開始します。」

ボブ女からカードの束を渡される。どうやら俺がバンカーのようだ。

「ちょっと待てよ。」

感覚で何となく物足りなさを覚えた。

「ペナルティ決めてねーだろ。」

どの対戦相手の時も一番最初はペナルティの選択から始まっていたはず。

俺のその言葉にボブ女より先にリアが嬉しそうに反応した。

「ふふっ。晴氏もついにペナルティ中毒になっちゃった?」

「は?」

へらへらしているリアの言葉に怒りを通り越して殺意すら湧いてきた。こいつはたった一言で人を殺人鬼にしかねないと思う。

「ペナルティってクセになるでしょ?チョコレートみたいに。麻薬みたいに。」

チョコレートと麻薬を並べる神経のコイツに“馬鹿”としか言えない。

そんな俺の不愉快な顔になど気も向けず、自分の話をし始めた。

「リアが初めてペナルティを課したのは中学生の時!相手は何と、リアのお父さん!」

まるで楽しかった思い出話をするかのように、テーブルに身を乗り出して話し始めた。

「ていっても血の繋がってないお父さんなんだけどね。リアが中学2年生の時にママが再婚したの。んで来たのが28歳のわっかーい男。そのとき、リアは14歳でしょ?14個しか離れてなかったの。中学2年生なんて身体は女になり始めてるじゃん?ある日お父さんがリアのお風呂中に入ってきたの!もうびっくりでしょ?そっからは…」

俺の目をじっと見て“分かるでしょ”とでも言いたげなリア。

「ふふっ。晴氏が童貞くんじゃなかったら分かるよね?」

そこまで言ったところでボブ女がストップウォッチを出し始めた。

「残り10分です。」

「は!?」

「も~、晴氏。リアのエロチックな話に夢中になっちゃってカワイ。でも勝負はちゃーんとして?」

罠だったのか…。いや、でも嘘をついていたとは思えない。

気になってリアをじっと見ながらカードを並べる。

「聞きたい?続き。」

俺の視線と興味に気づいたのか、リアがさっきより狂ったような笑顔で俺を見ている。

よく見ると左の奥に銀歯が見える。ギラつくソイツが気味悪さを倍増させる。

「ねえ、聞きたい?聞きたい?」

俺の額に当たるんじゃないかと思うほどテーブルに身を乗り出して問いかけてくる。

 

カードの並べ方に集中したいのに。クソ。気が散る。

「ねえ!知りたくないの?リアが初めてやらせたペナルティ!ね!ねえってば!」

…。

静かになった部屋。気づいた時には俺はリアの首を絞めていた。

(第三十二話へ続く)

 

■第三十二話

 

「ゴホッ」

リアの咳でハッと我に返った。

目の前にある俺の右手はリアの首を絞めていた。

「あ、ごめ…」

謝罪しようとして、自分が悪くないことに気づいた。いや、少なくとも俺は自分は悪くないと思った。

咳き込みながら自分の椅子の場所まで身体を引くリア。

ボブ女は何も介入してこない。リアは特別枠だけれど贔屓する枠ではないってわけか。

下を向いて自分の首をさすっている。

「ごめん。」

その姿を見て、どんな理由であれ女の子に手をあげてしまったことに罪悪感を覚えた。

リアが少し涙ぐんだままこちらに目を向ける。

「教えてあげるよ。憎くて憎くてたまらなかったリアが何したか。」

リアが自分の中指を立て、ペロッとその指を舐めた…その瞬間だった。

「ゴキッ」

リアが指をくわえたまま、楽しそうに思いっきり手を動かした。

聞いたことのないような鈍い音がする。

でろんっと力の抜けたリアの中指があらぬ方向に曲がって…違う倒れている。

「お父さんは再起不能。リアの一家は超安泰。だって新しい妹だの弟だの生まれないんだもん。ずーっとリアが愛されるでしょう?」

「お前、正気か…?」

ボブ女に力の抜けた指を乱暴に向ける。ボブ女は動揺することなく淡々と指の状態を確認する。骨折どころか骨が抜けたように指がプラプラしている。

「リアの最初にやらせたペナルティはそれ。晴氏は?」

カードを並べていた手が止まった。

俺の最初は、楠の指だった…。これからもギターを握るはずだった彼の人生を俺は…。

その俺の様子を察したかのようにリアが哀れんだ声を出す。

「しょうがないよ、晴氏はいじめられてたと思ってたんだもん。リアなら自分をいじめた奴だったらゆっくりゆっくり拷問しながら殺しちゃうな。」

優しいね、と言って少女の顔で笑みを向ける。

カードはとっくに並べ終わっていたが、リアとの対戦が怖いのか、俺の手はいつまでもカードの上をさまよっていた。

この女は仮にも母の再婚相手のイチモツを折ってしまうような人間なのだ。

負けたら自分がどうなるかなんて想像しなくても分かる。

ペナルティリストになんか載せられないほどの苦行を強いられるだろう。

「晴氏、もしかしてリアがお父さんのアレを折ったと思ってる?」

 

プラプラした指には形だけの添え木が添えられている。

ボブ女が器用に手当てをしていた。この女は人を殺すも一瞬。人を治すも一瞬。

「リアはね、折ってなんかないよ。知ってた?アレって折れないの。しぶといよね~ほんと。」

「じゃあどうしたんだよ。」

俺の手はカードの上から移動し、自分のイチモツを何となく庇うように膝の上に置かれていた。

「ふふ、切ったの。」

そう言って壁を見るリア。まるでそこに切られたモノがあるかのように。

俺の手がギュッとズボンを握った。

(第三十三話へ続く)

 

■第三十三話

 

信じられないようなグロテスクな話がこの世には存在する。

女性になりたいあまりに女性の皮を剥ぎ被った事件、人を食べて何十年も身を隠していた話。どこの国にも耳をふさぎたくなるような話はあるものだ。

そして今、俺の目の前にもそんな話が置かれている。

「そんな怯えた目で見ないでよ。」

言葉と裏腹に嬉しそうに俺を見つめるリア。

「いじめたくなっちゃうじゃん。」

そう言ってカードを一枚ずつ指でなぞっていく。

気味が悪いほどにゆっくりと、なまめかしく。

その瞬間、バッと一枚のカードを裏返した。唐突な行動に思わずすっとんきょんな声が出る。

「何してんだよ!」

「だってそういうゲームじゃん。ねぇ?エレナ。」

「バンカーカード。」

リアの言葉には無反応で、カードを読み上げるボブ女。

ゲームはすでに始まっているらしい。それも今回はボブ女のアテンドなしで。

「なーんだ。バンカーカードかあ。」

残念そうにカードを指ではじくリア。はじかれたカードを素早くボブ女が回収し、テーブルに戻した。

俺の目の前には9枚のめくられていないカード。

リアがさきほど引いた、俺から見て二列目の一番右には、バンカーカードが置かれている。

「晴氏、どこに置いた?リアのカード。」

まっすぐに俺を見て、絶対に答えない質問を堂々としてくるリア。

そっちがそう来るなら。

「俺の目の前の列の…」

俺の指を一番右と左のカードにのせる。

「ここ。」

リアは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「嬉しいなあ。こんなリアのために丁寧に教えてくれるなんて。何だかリア…」

リアの手がゆっくりとカードに伸びてくる。

「ワクワクしてきた。」

俺の右のひとさし指が置かれたカードのすぐ隣、右から二番目のカードを引いた。

「プレイヤーカード。」

どうやらこの試合は心理戦のようだ。

 

「晴氏。嘘ついたね。リア、恨んじゃうよ?」

ふふっと首をすくめて俺を見る。その瞳はまるで純粋な少女そのもののようだ。

「晴氏の考えはぜーんぶお見通しなの。」

「へえ。そうかよ。じゃあプレイヤーカード全部さっさと引けよ。」

まだ子供の女の子に舐めた口を叩かれて、俺もムキになって答えてしまった。

恥ずかしくなり深く深呼吸をする。

大丈夫だ。大丈夫。少なくとも俺はリアよりもずっとずっとこのゲームをやってきたんだ。高鳴る心臓の音に気づかないふりをして、リアの目を睨みつけた。

(第三十四話へ続く)

 

■第三十四話

 

「ねえ、晴氏~。このゲームを始めて“恨み”や“憎しみ”の感情と仲良くなった?」

唐突に質問されて思わず視線を落とした。

その俺の変化とともにリアが素早くカードをめくった。

「プレイヤーカード。」

あまりのスピードにリアを凝視した。隠しカメラか何か仕掛けてるんじゃないか。

そう思うほどにリアのカード選びには迷いがない。

「何で…」

リアに引かれた俺の目の前の列の左から3番目、つまり真ん中のプレイヤーカードが嘲笑うかのようにそこに存在している。

「ふふ、教えなーい」

何か、何か必ず理由があるはずだ。

そして理由があるところには突破口がある。

こいつが見ている俺の部分はどこだ。視覚の情報に的を絞れ!

「で?どうなの?仲良くなったの?」

「“恨み”も“憎しみ”もくだらねえよ。生産性の一切ないものだ」

俺は、重大な勘違いと何年も手を繋いできた…。もう何も失いたくない。

「俺はもうそんな感情に支配されるのはごめんだ」

「はぁ~?面白くな!!」

「あ?」

「リアの見込み違いだったかも。クソつまんな」

まるで空き缶を捨てるかのように、言葉を放り投げた。

コイツは人の負の感情が大好きだ…。

ということはきっと負の感情が動く時、人がどんな行動に出るかをことごとく知っているんじゃないか?

そうして、人が自分の負の感情に追い詰められていく様を楽しんで見ている。

人の負の感情…動く…。

俺の脳裏に浮かんだのは、

楠の『怯え』

美紀の『哀しみ』

親父の『後悔』

そのすべてを映し出していたのは…『目』。

「なあ、リア、お前にとって“恨み”や“憎しみ”って何だ?」

「友達。親友。」

そう、真っすぐに俺の目を見て言うコイツ。

「じゃあよ、“愛”や“優しさ”は?」

「…偽善。」

「ありがとう。」

お前が指針としているもの、分かったよ。

これからが勝負だ。

「じゃあ四枚目、めくれよ。」

(第三十五話へ続く)

 

■第三十五話

 

「じゃあ四枚目、めくれよ。」

先ほどと変わった俺の口調にひるんだのか、カードを選び始めたリア。

今の時点でプレイヤーカードが2枚、バンカーカードが1枚。

「楠隼人。」

そう、口に出し、俺の反応を見る。

リアの口角がニヤッと上がるのが分かった。

そしてさっと自分の目の前のカードに手をかける。

「バンカーカード。」

ボブ女の声に、めくったカードの種類に、リアの顔が固まった。

首に力が入ったのか血管が浮き彫りになっている。

「何で。」

「ほら、早く次、余裕なんだろ?」

俺も必死だ。自分の作戦が読まれる前にとにかくリアにめくってほしい。

「美紀、可哀想だったね。焼かれちゃったね。」

同情するかのような猫なで声で俺の怒りを撫でまわす。

でも、ここで負けるわけにはいかない。

目線をバンカーカードに無理やり持って行く。

美紀の話をした瞬間、俺が視線を落とした俺から見て二列目の一番左のカードをリアがめくる。

「バンカーカード。」

そうだ、いいぞ、その調子だ。

リアの表情がどんどん怒りに燃えてきているのが分かった。

さあ、怒れ。何も考えられないほどに。

「晴氏、意外と頭いいじゃん。」

「お前よりはな。」

「よくわかったね。リアの見てるとこ。」

バレたか。

「リアは昔っから人が抱えうる全ての闇の感情が大好きだったの。それで、リアの本当のパパが教えてくれたんだ。人の感情を表すものは目だって。」

バレた。完全に。

「お前は俺の目を見てカードを判断していた。そうだろ?俺が動揺するようなことを言って、その時の俺の反応で…」

「ふふ、だいせいかーい!その人にとって、明と暗、どちらの感情を大切にしているかによって、目の動きって変わるの。晴氏は完全に“暗”の感情に憑りつかれていたからね…リアが、晴氏が思い出したくないような話をした時には“隠したい”と思っているものに視線を落としてた。今の場合はプレイヤーカード。だからリアは、晴氏がリアの言葉に反応した時に見たカードをめくってた。なのに…」

リアの目の色が変わったのは、俺でも分かった。

「バレちゃった…ら、しょうがない。晴氏、ここからは死ぬも生きるも神様って奴に託そうよ。リアは目を瞑ってカードを引く。だから晴氏も、目を瞑って?」

「は?」

「ふふ、わくわくするね。」

歳に合わずにツインテールをしていたリア。

その髪に巻き付いていた黒いリボンをさらりとほどいた。

その黒いリボンをボブ女に渡すリア。

それを丁寧にリアの目の上にボブ女が巻き付けていく。

視界が遮断されたコイツは、暗闇の中でカードを手あたり次第に探している。

「相田さん。いいですか?」

ご丁寧に聞いてくるボブ女。

「やれよ。じゃなきゃフェアじゃない。」

リアと同様、俺の目の上にも黒いリボンが巻かれた。

一寸先どころか、全ての世界が闇に包まれた。 

(第三十六話へ続く)

 

■第三十六話

 

真っ暗闇の中、聞こえるのはリアの息遣いと手がテーブルの上をすべる音だけ。

自分が死ぬのか生きるのかも見えない。

「晴氏、目隠し、つけた?」

「あぁ。」

「じゃあ行くよー!」

リアがカードをシャッフルするかのようにテーブルの上で混ぜくっているのが分かる。

「~♪」

呑気に鼻歌を歌いながらカードを選んでいる。

「これ!」

その声とともに心臓が大きく動く。

腕、手の先、首の裏が異常に寒くなる。

「プレイヤーカード。」

ボブ女の声が響いた。テーブルの上、丸めた拳が震えだしたのが分かって、左手で右手を抑える。

かすかに振動に反応したのか、リアがゲラゲラ笑っている。

「何、晴氏震えてんの?クソウケんだけど~…と言いつつもう一枚っ!」

見えない恐怖というのは何よりも怖いんだと今知った。

見たくないものばっかりだった俺の人生だけど、見ないようにしていたものの中に“愛”があったのも確かだ。

今更もう遅いけれど…。

「バンカーカード。」

ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間、リアの楽しそうな声が再び響く。

コイツの声は鈴みたいにうるさくて嫌いだ。

「もういっちまい!」

「プレイヤーカード。」

今までリアが引いた分のカードを静かに思い出す。

バンカーカードが3、プレイヤーカードが…4.

「晴氏、死ぬの怖い?」

「あ?」

「ここに来た時のあんたは、外の世界はくだらなくて、生きる価値もないみたいな顔してたじゃん。でも、今は死ぬの怖いっしょ?」

「勝手なこと言ってんじゃねーよ。」

「伝わって来るよ、見えなくてもちゃんと見える。晴氏の“恐怖”。たまんない。」

話ながらもカードを選んでいるのか、紙と紙が擦れる音がする。

「エレナ、はい。」

あと一枚のカードで俺の人生は幕を閉じるかもしれない…。

死ぬときに見るという走馬灯は目を閉じていた方が見やすい。

そんなことを考えていた俺の隣りで、ボブ女が息を吸う音が聞こえた。

(第三十七話へ続く)

 

■第三十七話

 

ボブ女の息を吸う音。

それ以外は静まり帰ったこの空間で俺の心臓の音がうるさいくらいに鳴っていた。

バンカーカードが3枚。プレイヤーカードが4枚。

リアが引いたこのカードがプレイヤーカードだったら、俺の人生もこのゲームも終わる。

人生なんてくだらないと思っていた。

人は人の足を引っ張り、そうすることでしか自分の価値を築けず、下を見てはほくそ笑み、上を見れば歯をむき出す。

どこへ行っても何となくズレている気がしていた世の中と自分。

世の中のほうから見たら、俺の方が“変”だったのかもしれない。

「エレナ、早く。」

なかなか言わないボブ女に嫌気がさしたのか、リアがドスの利いた声を出した。

ほんの少し。ほんの少し、リアの声が震えている気がしたのはきっと気のせいだろう。

「バンカーカード。」

一瞬脳が理解するのに時間を要した。

助かった、ということか。リアの小さな舌打ちが聞こえた。

「プレイヤーカード、4。バンカーカード、4。ラスいちで全部が決まるね。」

楽しそうに話しているリアの声。やっぱりどことなく違和感がある。

「お前も死ぬのがこえーんだろ。」

俺の言葉に静寂が生まれた。

「さっきから声が震えてんだよ。」

何も返ってこない、この場がリアの恐怖心を表している…。

と、その瞬間、リアの甲高い笑い声が響いた。

急なことにさすがの俺もびくつく。

「あっははははは!晴氏まじでバカだね!」

「は?」

「このゲームはリアが主催なんだよ?それが意味することが分かんない?」

「どういうことだ。」

「だーかーら!リアは何があっても、例え負けても、死ぬことはないってこと♡」

声が出なくなったのは俺のほうだった。

(第三十八話へ続く)

 

■第三十八話

 

「おい、嘘だろ。」

俺の中で、今までのこいつとのゲームが何の意味もなかったという事実がぐるぐると回っている。

「リアの目的は漫画のネタだよ?リアが死んだら誰が書くの?」

尤もらしいことを言いつつ、倫理観の狂ったその言葉がコイツの奇人さを際立たせる。

「声が震えてる?ばーか、武者震いだよ。はい、エレナ、最後のカード。」

いつの間にか引いたカードをボブ女に渡すリア。

あぁ、本当に、世界はクソだ。最後の最後までやっぱりクソだった。

こんな世界にたった一人で投げ捨てられて、俺ら人間はなんて不憫な生き物なんだろう。

神様?なんて奴がいるのなら、今すぐにでもそいつのことを殺してやりたい。

俺らと一緒にこのクソみたいな世界に堕ちてしまえばいい。

「最後のカード、読んでよろしいですか?」

ボブ女の意気揚々とした声が耳に届いた。

この女は本当に最後まで、この部屋の秩序だったんだな。

些細な感情だけを持ち、ずっとこの空間で淡々と飄々としていた。

「あぁ、読めよ。」

もう、いいよ。こんな世界、死んだほうがマシだ。

みんないなくなってしまった。美紀も親父も、楠の夢も。

「では」

手に入りそうなところで、ほろほろと崩れていってしまう。

そして指の隙間からなくなってしまう。

そんなしょうもない期待だけを与えられ続ける毎日。俺らは疲れてしまうよな。

最初から与えないのなら、期待も夢も全部えぐるように俺の人生から排除していてほしかった。

もう今更遅いけれど。

 

「バンカーカード。」

「へ。」

「バンカーカード。勝者は相田晴彦。」

ゆっくりと目に被さったリボンをとられていく。久々に見た白い光が網膜を刺激する。

視界に黒い点々が数個浮かび、消えた。

この部屋はこんなに明るかっただろうか。

目の前には爪を噛んでいるリア。相当ムカついていることが分かる。

「つまんねーの。漫画のオチとしては最悪。」

俺は、勝った。

このゲームに、この空間に、この世界に。

そして、この女に。

「いいよ、金、持って帰れよ。」

投げやりになったリアがエレナに首で合図する。

「相田様、おめでとうございます。お約束の賞金を今お持ちしま」

ボブ女のその言葉の途中で扉が開いた。

「いやあ、おめでとう。最高のショーだったよ。」

そう言って俺の目の前に立ったのは、かつて見たことのないほど不気味な雰囲気を持っている男…コイツどこかで。

(第三十九話へ続く)

 

■第三十九話

 

「最高のショーだったよ。」

拍手をしながら部屋に入ってきた男。年のころは60代か。

黒いサングラスのせいで目線がどこを向いているのかは分からないけれど、俺を見ていることに間違いはないようだ。

「いやあ、うちの子が御世話になったねえ。」

「は?」

「マスター、負けちゃった。」

リアが“マスター”と呼ぶ男の元へすり寄っていく。まるで猫のように。

リアのことを受け入れ、猫を撫でるようにリアを撫でるこの男。

気持ちが悪い。変態か?

「どうしてもこの子が漫画のネタを具現化したいというから、僕が“ここ”をあげたんだ。」

「黒幕…ってわけか。」

「違う違う。私は純粋な研究者だよ。」

リアに続き、頭のおかしい奴との会話はもうウンザリだ。

「純粋?研究者?人を殺してまでか?」

「晴彦君。人の進化は“犠牲”のうえに成り立っているんだよ。君のその愚直な考えも、過去の犠牲の産物なんだよ。」

「何言ってんだよ。どうせお前も頭おかしいんだろ。」

何を言っても無駄だ。こいつらには。

「金をよこせ、俺はそれでいい。お前らが今後どんな研究を進めようが、俺には関係ない。二度と俺に近づくな。」

「まあまあ。晴彦君。せっかくだから最後のショーを見ていきなさい。」

男が椅子に座ると、どこからともなく白いパーカー男たちがやって来た。

俺と男に紅茶を出してくる。

「ほら、座って。過度の緊張のせいで喉が渇いただろう。飲むといい。落ち着くよ。」

聞き心地のいい声で話しかけてくる。リアとは違い品がある。

一般社会なら上級階級の人間がする振る舞いだ。

緊張から放たれたせいか、コイツの言葉通り喉が渇く、軽い眩暈で椅子に座らざるを得ない。

「早く、帰らせろ。俺を。」

紅茶を一口飲み、ゆっくりとスプーンを置く。

「まあまあ。」

そう言って二度手を叩いた。左薬指に黒の石がついた指輪が鋭く光った。

白いパーカー男たちが俺のほうに向かってくる。

「な、何だよ!」

恐怖心に覆われた瞬間、その男たちは俺の隣をすり抜けた。

「やだぁ!離して!!!」

リアの悲鳴が鳴り響いた。リアを取り押さえる男たち。激しく暴れながら抵抗するリア。

ゆっくり目の前のサングラス男…いや、じじいを見ると、リアには目もくれず優雅に紅茶を飲んでいる。

「助けてええぇぇぇ!!!」

リアの手が俺の足首を掴んだ。

咄嗟のことに声も出ず、身体も動かない。俺はただただ泣き叫ぶリアを見ていた。

(第四十話へ続く)

 

■第四十話

 

さっきまで俺のことを見てほくそ笑んでいたリアが、俺の足に絡みついている。

「助けてぇ!!!」

この男は一体何者なのか…。

これほどまでに混乱しているリアを見るのは初めてだ。

「お願いです!捨てないでください!何でもしますからぁ!」

リアの言葉の先は俺ではなく、この男のようだ。

しかし、言葉には見向きもせず、相変わらず優雅に紅茶を飲んでいる。

気味が悪い。

「リア、やめなさい」

やっと口を開いたものの、リアには一切の視線を向けない。

「そんな床に這いつくばって、下民のようだ。不愉快だ。」

「お願いです!」

リアがその言葉を放った瞬間、男がティーカップを床に投げつけた。

いや、リアに投げつけた。

「聞こえなかったか?不愉快だと。」

男は、ティーカップの破片まみれのリアにゆっくり近づくと、リアの髪を引っ張りあげた。

リアはただただ泣きながら男を見ている。

「ダメじゃないか。ちゃんとルールを守らないと。連れていけ。」

白フードの男たちに掴まれ、部屋の外に連れていかれようとするリア。

リアの爪が俺の足首をひっかいた。

「いった。」

「晴氏、“恨み”も“憎しみ”もくだらないって言ったよね。でも、よーく思い出してみな!あんたが貰う大金は、楠の夢と美紀と親父の命と引き換えに得たものなんだよ!!!生産性がない?笑わせんな!お前は人の幸せの上に立って自分の人生を堪能しようとしてんだよ!偽善者ぶってんじゃねーよ!!!」

リアのその言葉と狂った笑いを最後に、部屋の扉が閉じられた。

俺はゆっくりと自分の指を見つめ、動かした。

(第四十一話へ続く)

 

■第四十一話

 

人間が簡単に壊れてゆく様は、非常に不愉快極まりない。喚きちらし、泣き叫び、そう、上品さのかけらもないのだ。しかし、そんな滑稽な彼を見て私は不思議な幸福感を得た。

 

「相田さん、大丈夫ですか?ここに、お釣り置いておきますからね?」

いつも行くカフェの女性が俺の右手を握り、そのままお金が置いてあるであろうトレーまで持って行った。

「相田さん?」

「今、流れていた文章は?」

「文章?」

「人間が壊れてゆく~何とかって。」

「あぁ、ラジオですね。最近人気の小説の冒頭を紹介するラジオなんですよ。この小説、今、映画化もされていて大人気なんです。」

「何ていう本なんですか?」

「『ハッピーブレインウォッシュ』です。あれ?相田さん?知ってましたか?」

久しぶりに聞いたそのワードに、異常なほど体が反応した。

「さ、作者は…」

「それが謎なんです。名前は『N』。それだけしか作者情報がないんですって。今頃きっと、印税がっぽがっぽだろうな~。なんて(笑)。」

楽しそうに朗らかに話すこの店員は、一体いくつなのか。

いい歳だったら、俺は殴っているところだ。

「でもでも、私好みではなかったな。」

「なぜ?」

「最後が気持ち悪いんですよ~!主人公がせっかくゲームに勝つのに、自分で自分の目を潰しちゃうんです。グロいですよね。」

見たくなかったんだよ、見たくなくなったんだ。この世界のあれこれを。

「帰ります。」

「あ、お気をつけて!」

 

 

「店長、相田さん、本とか読むんですかね?」

「読めないだろ、目が見えないんだから。」

「ですよねぇ…。悪い話しちゃったかな。」

「いや、向こうから聞いてきたんだし、問題ないよ。それより6番テーブルに紅茶ね。」

「店長、6番テーブルの人、いっつもサングラスはめてますよね?室内でサングラスとか、変な人!」

「こら、聞こえるだろ。早く持って行け。」

「はーい。」

どうだい、相田晴彦。

人に同情され、優しくされる気持ちは。

お前が思っていたよりも、この世界は綺麗だったろう。

お前が感じることのできる世界は同情と優しさに満ちている。

そしてお前を見る私たちは、優越感に満たされるのだよ。

「お客様、紅茶になります。」

「ありがとう。お嬢さん、ゲームに興味はありませんか?賞金も出るんですが。私、こういうものです。」

「あ、私、名刺とか持ってなくて…。」

「いいんですよ、受け取ってください。興味があれば、是非。」

「じゃあ…ありがとうございます。え…、Nって…。」

(終わり)

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